日常の中の小さな非日常

Withコロナ時代における自由で居心地の良い居場所とは

2020.09.15

「Withコロナ生活。すでに日常化している?」

新型コロナウイルスによって、人と人との距離を気にしながら、慣れないマスクでの生活が始まり、花火大会や夏祭りは軒並み中止になりました。私たちのいままでの日常が劇的に変化し、誰もが不安を抱えて、「非日常」の生活を感じたのではないでしょうか。

しかし、半年も時間が経過するとどうでしょう?仕事はリモートワークが当たり前になり、無駄な通勤や、無駄な飲み会も減り、その分、家族との時間が増え、ランニングをしたり、子供とサッカーをしたり、コロナショック以前よりも、良い生活に変化していると感じている方も多いのではないでしょうか。人は環境に順応するといいますが、すでにWithコロナの生活はすでに「日常」になっていると言えます。

「行為が場所に定着すると窮屈な居場所に」

いままで当たり前と思っていた日常から、今回のコロナによる非日常を経て新しい価値観を見つけ、それがまた新たな日常として繰り返されます。「在宅勤務と暮らしの在り方」を考えるとき、この日常と非日常との関係性がポイントとなると思います。

このまま在宅勤務が当たり前になると、どのようなことが起こりうるでしょうか。ひとつは作業する「場所」が定着することです。PCやタブレット、資料などが蓄積していくでしょう。こうなるとテンションは下がります。仕事に限らず勉強も家事も同じで、ある行為が場所に定着して繰り返されると、それは日常となり、窮屈でつまらないものになりがちです。逆に、日常の中に非日常的な体験があれば、居心地の良い在宅勤務と暮らしになるのではないでしょうか。

「日常の中の小さな非日常」

2年前に自邸を建てました。当時はコロナの影響はありませんが、2世帯住居で、「子世帯住居」と、「母の住居」と「小さなライブラリー」を作りました。「小さなライブラリー」とは主に仕事場ですが、あえてこの室名にしたのは、設計事務所として場所を占有してしまうことを恐れたからです。ライブラリーであれば、子供たちが勉強したり、妻がワークショップを開いたり、その都度、好きな場所を選んで、誰でも自由に使えるような場所があると良いと考えました。

在宅勤務が多くなると、仕事とプライベートの境目がなくなりストレスを溜めてしまうこともあるでしょう。そこで、1階のライブラリーと2階の住まいの間に「屋根の空地」という外のような居場所をつくりました。屋根ですから床は斜めで、1日に何回も行く場所ではありません。植栽を置いたり、洗濯物を干したり、そこから光や風を取り込んで、たまに子供が寝そべっています。この空間が非日常的な場所となり、日頃の仕事や生活に対して変化を与える役割を担っています。

「自由で居心地の良い場所とは」

子世帯の住まいも同じ考え方で、極力、〇〇する場所を決めつけないようにしています。テレビもポータブルで、好きな場所で見ます。ちょっとしたコーナーやロフト、インナーテラスや、床下の小部屋など、これといって、なにをするわけでもない小さな居場所が、緩やかに繋がっています。日常の空間の中に小さな非日常空間をつくっています。

最近、猫を飼い始めました。高い所に登ったり、小さな隙間に隠れて遊んだり、陽だまりを見つけてくつろいだり。毎日、良い場所を見つけるのがとても上手い。自由で居心地がよい空間とはここにヒントがあるような気がします。