郊外での暮らし

2021.10.11

これからの住まいと暮らしをテーマとして、郊外で暮らしている石井さんに「郊外での暮らし」についてコラムをとの依頼を頂いた。

私は鎌倉に住んでいる。自然豊かで都内への通勤圏内にある鎌倉はまさに郊外のイメージそのものだ。
私の事務所も都内の広尾にあり、鎌倉から通勤していることを考えると、まさに郊外居住者そのものだろう。ただ、郊外と指摘された際にハッと郊外であることに気付かされた。それは住む場所を決めた時には都心を中心としての意識は無く、自分が住みたいと思う街が鎌倉だったという思いが強いからだ。

海、山に囲まれて緑豊かな環境、さらに住んでいる人々が鎌倉という街を愛し、その土地の文化を大切にしている空気感を感じた。ゆったりと流れる時間、食材も豊富で食べ物も美味しい、個人店が多く皆が人生を楽しんでいる、そんな鎌倉での生活は魅力的に感じられた。現に鎌倉での生活は心身ともに心地良い。

これからの住まいを考えると、コロナ禍で通勤が人々の生活圏を規定していたこれまでの社会構造が実は虚構であったことが明確になり、多くの人が通勤から解放されることで住む場所をより自由に選択できるようになる。それこそ都心と郊外という構造自体が無くなり、より人間として健全な土地選びへと変わってくるだろう。

つまり「郊外での暮らし」ではなく、より自分らしく生きられる場所での暮らし、ということになる。

それではこれからの住宅はどうだろうか?

確かにコロナ禍で社会生活は大きく変わった。これまでも高度経済成長、バブル崩壊、リーマンショックなど様々な大きな社会情勢の変化はあったが、ここまで全ての人々の生活に直接的な影響を与えたことはなかった。あらゆる価値観の見直しが求められている中、自身の設計を振り返ると、そもそも建築は永く残るものなので社会情勢によらず、より普遍的な価値に基づいて設計すべきだと考えてきた。

その結果、コロナ禍以前に設計した住宅も十分に今回の変化に対応できていることを確認した。内部が外部と積極的な関りを持つ空間は外出できない日常でも窮屈さを感じさせない。身体感覚に基づく多様さのある空間の連続が生み出す溜まりは家族の居場所を創り、仕事や応接スペースとして使われたりしている。

今後も想像できない未曽有の社会変化が起こるだろう。
その都度、建物を建て替える訳にはいかない。社会情勢に由来した設計ではその先の変化に対応できないが、より普遍的な根拠に由来した空間は社会の変化に揺らぐことは無いだろう。

これまでも、これからも変わらず、普遍的な身体感覚に由来する多様な選択を与える包容力のある空間を追求していきたいと思う。